あたしも苦労をしたものさ。。。
キセルの灰を落とす・・・カボチャさんです。(´_`。)

_MG_0217カボチャさんが日本に伝来したのは、安土桃山時代とか。
かの・・・時の名君(?)
織田信長さんが安土城に移った年(1576年)に、ポルトガル人が種子島に漂着(!)
その折に、ポンキンという種類が「持ち運びし易い、種の状態」で持ち込まれたんですが、毒がある(!)との迷信があって、なかなか民人には愛してもらえず。。。
ちなみに、ポルトガル人がカンボジアから持ち込んだとかで、日本では「カボチャ」と名付けられたとの説も。

今良く食べられているニホンカボチャは、二系統あるそう。

まず一つは、ボーブラ(ボウブラ、ボブラ、ボウフラとも)はポルトガル語が訛ったモノだそうで、菊座カボチャの類。(写真・左)
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ではまた、もう一方は、中国の南京で改良されてきたからか、「ナンキンカボチャ」とか、「トウナス」と呼ばれているそうで、お江戸開闢の頃のカボチャさんは、長崎の辺りに栽培されるだけで、しかも紅毛人や唐人に向けてだけのモノでした。(゜-゜)

カボチャの形が「ボウブラという土瓶に似ている」から九州では、ボウブラ。
関東では、唐(中国)のナスの意味で、トウナスと呼ばれたそう。

それがお江戸では、三代将軍・家光の頃に、これは今もあるんですが、旧荏原郡に大崎村(現在の品川区大崎)というのがありまして、東海寺というのが当時出来たんです。

そこの沢庵宗彭和尚上方から取り寄せて大崎居木橋(おおさき・いるきばし)の村名主・松原庄左衛門に頼んで栽培はしてもらえたんです。
yjimageですが、これが八代将軍・吉宗の頃まで、なかなかに認めてもらえず。(´・ω・`)

京都で植え始めたのは、ちなみに四代将軍・家綱の頃から。
これは、鹿ケ谷産が有名(!)なんですが、奥州津軽から取り寄せた時には、もとはただの普通の丸いカボチャだったのに、京都の土のミラクルか、連作する内に豹変(!)
ヒョウタン型に変形して大型(!)になり、病害にも強かったんで喜ばれたモノでした。(写真・右)

明治に入ってからは、ナタワリ(セイヨウカボチャ)が寒冷な土地でも育つというので栽培されるようになりました。

これが、わりに育てやすくて豊作な事が多いので、日本の方にも喜んで育ててもらえるようになったんです。
・・・第二次世界大戦の頃は、なにしろ食糧不足だったので、一家に私を日向に植えて、日陰にはニラを育てるようになんて奨励・・・なんて事もありました。

yjimageそんな・・・日本の皆さんに愛されるまでに苦労を続けたカボチャさんですが、βカロテン(ビタミンA)が豊富で、これは免疫力低下を助けます。
ビタミンB1やB2、C、Eも含み、抗酸化作用はもちろん、身体を温める効果もあるので冷え性にも良い。(^-^)
・・・冬至にカボチャを食べるのは、この冷えにはもちろん、風邪予防に良いからとか。
鉄分やカリウムも含むので、貧血や高血圧予防、皮やワタには食物繊維が多いので、便秘改善にもパワーを発揮します。

そうかい?
あたしはそうでもなかったよう・・・と語るは、サツマイモさんです。

二代将軍・秀忠が江戸城を納めることになった、1605年。
中国は、明への親貢船の事務官であった野国総管(のぐに・そうかん・・・琉球時代の役職名なれど、一個人★)が、中国から持ちかえって来て栽培したのが切っ掛け。
yjimage痩せ地でも育つ(!)ことから栽培はどんどんと増えて、10年後にこれを、九州は平戸にいた英人のコックスさんなる方が取り寄せて栽培を開始。

三代将軍・家光の頃には伊予宇和島に伝わり、五代の綱吉さんの頃には、宇和島から今治へ。
愛媛の土地を飛び出し、瀬戸内海の島々に伝わりますが、救荒作物としての優秀さを認めて、八代・吉宗さんの頃には島根でも試作開始
江戸の土地では、やはり将軍・吉宗の命(!)青木昆陽(別名・甘藷先生と呼ばれるほどに力を尽くした★)が試作を始めたのですが、これがさらに八丈島にまで移住(!)
遠方の島の飢饉までをも救う、大スター(!)になりました。(〃∇〃)
十代将軍・家斉の時代には愛される余り、「甘藷百珍」なんて料理本に取り上げられるほどです。

・・・そんなサツマイモさんですが、お江戸の土地では、焼き芋で賞味をされました。

今も愛される焼き芋屋さんですが、関東では居店で活動したそうですが、関西では蒸しイモで行商をして売っていたとか★
E784BCE3818DE88A8BEFBC88E38明治にもなると、はるか遠くの小笠原までも、サツマイモは伝わり続けては、民を助けていたようです。(。・ω・)ノ゙

第二次世界大戦の折には、カサがあって米の代替に良いと奨励をされて、栽培を強化(!)
・・・戦争が終れば終ったで、今度は資材不足の折から、アメリカのGHQにまでも命じられて、なんと(!)
・・・味噌のカサ増しにまでも活躍をさせられたとか、サツマイモさんの芋生にも、かな~りな紆余曲折があったようです。(T_T)

揚げてよし、ゴハンに混ぜてのイモ飯、イモ粥、煮ても焼いても蒸しても良し!

その人気は米に匹敵する勢い!・・・な、サツマイモさんなんですが★
いざ保存(!)という点でだけいえば、米の保存性にまでは肩を並べる処まではいかなかったとか★

_MG_0236でんぷんと糖分を多く含みますが、ビタミンCとカルシウムが多く含まれているのが、また特徴です。
豊富に含む食物繊維は便秘予防、黄色いサツマイモの種類(金時など)には、カロチンも多く含みます。
カロチンは体内でビタミンAに変わるので、夜盲症や視力の低下を防ぎ、ビタミンCは美容効果も。
この夏に痛んだ肌を、癒してくれます。

ただ、「サツマイモを食べると、胸やけがする・・・」という御仁がいるそうですが、でんぷんが多いのでまれに、消化しきれない方もいるとか★
そんな時は、イモにマーガリンを塗って食べるとか、大根おろしを添えると、消化酵素が助けてくれるんだそうです。

それを聞いて、・・・少々肩をくすませる・・・小松菜さんです。

小松菜は、キャベツや菜の花と同じアブラナ科の一種で、そもそもお江戸の初めの頃には余り、菜類というモノの生産には百姓達はあまり、力を入れていませんでした。

_MG_0484何故かというと、・・・なにしろ江戸の土地は、何にもない処にお城を建てたという次第で、開闢当初はまだまだ、生産性が絶(!)不足していた時代でしたし、そんな時に飢饉なんか起これば、ひととまりもありません。
なので、お腹の足しにならない葉菜類を育てるよりも、手っ取り早くお腹を満たせる根菜類や果菜類(ナスや瓜、エンドウなど)を多く育て、葉菜類なんかは、山菜や野草で補っていたんだそう。
そんな・・・日蔭者の葉菜類の小松菜さんに陽が当ったのは、何といっても、青物の少ない冬の時期に収穫ができるという利点からでしょう。平成の今でこそ、様々な時期の野菜がスーパーや八百屋さんで売られていますが、お江戸の頃ならまず、考えられません。( ̄∇ ̄+)

・・・さて。

江戸の初期に、現在の東京都江戸川区小松川村で、将軍吉宗が鷹狩の折に献上され、その時に地名から付けられたというのが一説にある、小松菜さんです。

06086g[2]たしかに吉宗は当時小松川を訪れているし、地元の香取神社で休憩を取ったと記録にあるそうですが、これが本当かはどうかは判らないとか。
ただ、小松川村の隣りにある葛西村で栽培されている青菜が、味が良くて評判だったとの表記はあるそう。
それは、古代日本に伝来してきたカブが、「ククタチナ(茎立ちして、葉を茂らせる)」ように改良、栽培されたモノだそうで、当時は生産地から「葛西菜」と呼ばれていたそう。
それを、隣りの小松川村の椀屋久兵衛(わんや・きゅうべえ)という篤農家の方が、更に品種改良して栽培(!)
葛西菜より香りも良く、味も良かったので「別モノ」として「小松菜」というブランドになったモノだとか。

ちなみに、カブを原種とする葉菜類は例えば、武州寒菜(群馬・埼玉)や信夫菜(福島)、大崎菜(新潟)、野沢菜(新潟)など色々あるそう。

_MG_0692ホウレンソウより灰汁(あく)が少なくて、ビタミンもカルシウムも多く含む小松菜さんです。
皮膚や粘膜を強化するビタミンAや、抗ガン化作用、老化防止のビタミンEを含むので、出来れば生食するのが一番だそうです。
三方共に、夏の傷ついた肌や髪、胃腸を整えてくれるアイテムが一杯(!)
暑かった夏を癒し、身体を整えて来る秋に向けていきたいものです。

カボチャの栄養と効能

カボチャの栄養

ビタミンA(βーカロチン)、ビタミンC、ビタミンE

カボチャの効能

冷え性、体力回復、風邪予防、抗ガン化作用、貧血、高血圧、抗酸化作用など

サツマイモの栄養と効能

サツマイモの栄養

ビタミンC、カルシウム、食物繊維、動脈硬化予防など

サツマイモの効能

風邪予防、便秘改善、美肌効果、動脈硬化予防など

小松菜の栄養と効能

小松菜の栄養

ビタミンA、C、E、カルシウム、鉄、ジアスターゼ

小松菜の効能

動脈硬化予防、抗ガン化作用、風邪予防、抗酸化作用、骨粗鬆症予防など