いよいよ、3月になりました~。(^-^)
大雪が降って流通が途絶えたり、ものすごく冷え込んだかと思えば、やたらめったら暖かい日もあるこの時期、みなさま、いかがお過ごしですか?
ご無沙汰しまして、はわゆでっす!
このHPの「ご挨拶」にもありますが、「林邦史朗の贈る、殺陣LIVE」が今年、5月16日(金)~18日(日)まで、東京都は渋谷区恵比寿にあります「シアター代官山」で催される運びとなりました。(^_^)v
・・・かような訳で、はわゆサン★
人生、2度目の舞台制作プロデューサーに就任したわけですが、こんなに使えない人が、またもやプロデューサーになっても、良いんだろうか。(^_^;)
・・・そのくせ、はわゆサンは欲張り。
ただの公演では詰まらないので、劇場側を林先生に説き伏せさせて(!)
このHPの「ねんきら・江戸レシピ☆」の、試食体験までも付けちゃいました☆
・・・はわゆサンは楽しいんだけど、ホントに、大丈夫なのか、ナ~。
いろいろ、ホントに出来るのかナ~・・・などとじんわり、冷や汗もかいているのですが、よろしければ劇場まで足をお運びくださいませ。<(_ _)>
・・・さてさて、今月の「ねんきら」の旬食材は、はわゆサンの大好物、ハマグリでっす。(^-^)
そして、江戸時代の料理書には、まずもってトップに躍り出てくるレシピはやっぱり、「焼蛤(!)」
皆様ご存知の通り、ハマグリを直火で焼くだけのこのレシピは、『東海道中膝栗毛』で、弥次さん、喜多さんも桑名に近い富田(とみだ・朝日町富田)で食べているそう。
そういえば、お座敷唄で聞く処の『桑名の殿さま、時雨で茶々漬け~♪』という下り。
はわゆサンも、てっきり、桑名のお殿さまが大好きで食べているという歌だと思っていたんですが、、、
伊勢国であった桑名は、伊勢湾に面したお土地柄。
かつて「十楽の津」と呼ばれたほどの栄える港町で、まずはお近くの織田信長の配下に。
「信長の家臣であるところの、滝川一益が治める」ことになりましたが、この方、その後はなんと、羽柴秀吉と対立。
賤ヶ岳の戦いで敗れてしまったので、今度は信長の次男、信勝の領地となりました。
・・・しかし、これも長くは続かず、さて今度は秀吉の家臣が入ったり、いよいよ、徳川家康の重臣・四天王と呼ばれる本田忠勝が治めるようになって、「桑名藩」として立藩しました。
まぁ、立藩はしたものの、治める殿さまはまた変わっていく訳ですが、栄える港町をもつ土地柄故か(?)
時代は明治に移っても、その繁盛ぶりは並大抵ではなかったそうな。
・・・明治から大正にかけて、米相場(!)で設けた桑名の旦那衆(成り金も、多かった?)
浪速や東京は新橋辺りの料亭で、芸者をあげては、盛大な酒宴を取り行っていたそうで、大いに遊んだその旦那衆が宴の最後にはよく、桑名名産の時雨蛤(生姜を加えた佃煮の事)で茶漬を食べていた様子を、唄にしたものなんだそうです。(^_^;)
・・・もっとも、ホンモノの桑名の殿さま、松平定信のことだとする説も★
また、この「時雨煮」という名前。
地元ではカンタンに「煮蛤」と呼んでいたのを、松尾芭蕉の高弟・各務仕支考(かがみしこう)」が、時雨が降る頃に作り始める事から商品名として考えたのだそうですが、またこれにも色々と説があり。
・・・まぁ、街道も整って、日本各地の名産品が流通するようになったという事で、江戸でももちろん、桑名名物として売られていたんじゃないでしょうか。
焼蛤の他には「付け焼き(醤油を付けて焼く)」や、「藁煮(わらに・茶碗蒸しの原型とも言われる料理らしい)」などが紹介されています。藁煮は、ハマグリの身を湯がいて剥き、木クラゲなど混ぜて、卵に醤油、花かつおを入れたモノに混ぜて蒸したそうな。
とにかく、旬エッセイでもご紹介をしてますが、縄文時代の生活を今に伝える貝塚から出土する貝の、その8割もがハマグリ★
太古の時代から愛されているハマグリさんは、平安時代の貴族達にも、この貝殻をもって「貝合わせ」なる遊びに使われたそうですが、これは貝殻の内側2枚に1組の絵や文字を書いては、トランプの神経衰弱のようなゲームだったようです。
・・・2枚貝なので、同じ貝殻でないとピッタリとは合わない。
なので夫婦円満の対象、良縁に恵まれるよう、桃の節句の折にはハマグリを食べたり、貝殻で遊んだりしたのだとか。
・・・もっとも、同じ貝殻(貝は、女性の象徴★)を睦ぶという事から、男女間の貞操を保つためだとか、こちらにも説があるようです。
そういえば、作家の池波正太郎さんが、花の吉原遊郭で筆おろし(・・・つまり、大人の男性としてのスタートを切る行為★)をした際、おめでたいという事で、お赤飯にハマグリの吸い物がお食事に出た、なんてのが、どこかの本に書いてありましたっけ。
我らが健康アドバイザー・林邦史朗氏も、新小岩の遊郭で同じようにスタートをしたそうなんですが、こちらでは、こんなサービスはなかったと仰います。
またまた、はわゆサンは知らなかったのですが★
思った通りに子供が育たなかった時など、親御さんが溜息などつきながら、
「あいつ、何時の頃からか、グレやがって・・・」
とか、よく言うシーンをドラマなんかで見かけますよね。
この「グレる」という言葉は、ハマグリを逆にして「ぐりはま」の転じた言葉なんだそうです。(^_^;)
ハマグリの「グリ」が動詞になったんだそうで、ハマグリの貝殻をひっくり返すと合わなくなる。
よって、物事が食い違った様を指すようになったとか★
古く、江戸の頃から使われている言葉なんですって、・・・右の写真は、江戸時代のぐれてる人のイメージ(笑)
とにかくまぁ、知りませんでした。(゜-゜)
・・・江戸レシピをやるようになって、よく江戸の頃、江戸の頃と口にするようになりました。
旧暦の3月3日、桃の節句は、新暦でいうなら4月の頭くらい。
その頃は大潮で、当時は品川からすぐ海でしたし、広大な遠浅の海が巨大な干潟に変化(!)
大人しく家の中で、雛の節句を祝うより、大海原で雄々しく、干潟に足を踏み入れての潮干狩りは、江戸人の壮大な大イベントだったのだとか。
海底が陸に変わった如くの、ホントに広大な干潟だったんだそうです。
現代の私達の潮干狩りは、どこかから持って来て撒いたアサリ貝を掘って収穫するだけのイベントです。
・・・でも、この江戸の頃は全くもって、違っていたのだそうです。
何しろ、浅瀬に住んでいる根付きの魚(ヒラメやカレイ、メバルなど)が逃げ遅れて、砂浜の上にぴょんぴょん飛び撥ねていたとか、貝でいえばアサリはもちろん、ハマグリ、マテガイまで獲れたなんて、なんて豊かな海だったのでしょう・・・!
江戸から時が移り、名前は変わって東京湾になっても、昭和30年代くらいまでは、この地はハマグリの産地として有名だったんだそう。
ですが平成の世では、東京湾のハマグリは絶滅危惧種に。
日本の文化である、碁を打つ時の白石の方はハマグリで作るそうだし、昔から庶民に親しく、身体に良いともされている食材なのに、どうにかして自然とエネルギーと経済と何とか、どこかで帳尻があう処がないものかと考えてしまう・・・なんだか、この頃の・・・はわゆサンでありました。(^_^;)