・・・10月に入ってすぐ、用事で郵便局に行った処、
「年賀状が販売になりましたので、お早めに~♡」
な~んて、局員さんが笑顔で言ってくれました。( ̄_ ̄ i)
・・・いやいや、そうは先を急ぐな、まだまだ2ヶ月もあるじゃない・・・なんて思っていたら、ドンドン!
あっという間に年の瀬を感じるこの頃ですが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか?(^▽^;)
さて、旬エッセイの方でもお話をしているのですが、12月の旬食材は人参とブリ(!)です。
・・・数少ないとはいえ、このエッセイを書く時には「はわゆ蔵書」をひっくり返し、ネットはもちろん、電子辞書までをも引っ張り出してはの、大作業(!)になるのですが・・・。
いや、「にんじん」には、してやられました。(^^;;
今回は、そんなお話をしてみたいと思います。
「人参は、セリ科の1~2年草」とあります。
日本に伝来したのは16世紀とか、いやいや、平安時代にはその名が見える・・・などなど。
チラッと探るだけでも、そちこちに違う見解が出て来るんです・・・。(-“-)
ちなみに、はわゆ蔵書の吉川弘文館発行「日本の食文化史年表(2011年発行)」を見ると、なんと(!)
739年12月10日に勃海使節(!)が来日、朝廷に国書や貢物献上の他、ニンジン30斤(きん)、ハチミツ3斛(こく)が含まれるとあります。
・・・大学のお偉い先生方が、キチンと調べ上げて発行された本です。
だから正しい資料なハズなのに、何故にもこれ程に見解が違うのでしょうか。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
・・・大体、渤海使節って一体、何者っ!?
739年といえば、日本は奈良時代。
聖武天皇が治めている世の中で、この方は全国に国分寺や尼国分寺、果ては奈良の東大寺をお建てになったお方とか★
隋が滅び、日本は遣唐使を始めていましたが、「渤海なる国とも、当時は交流をしていた」のだとか。
渤海って、何処っ!?
・・・資料によると、698~926年に中国の東北部や沿海州、朝鮮半島の北部にあった国のよう。
・・・そういえば中国って、三国志(魏・呉・蜀)の時代もあったし。(-“-)
はわゆサンの乏しい記憶の中でも、高句麗・百済・新羅なんて国名があるくらいだから、たくさんの国が出来たり、滅んだりしているお土地柄なのよね・・・もお、いや。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
歴史が大の苦手な・・・はわゆサンに、にんじんの歴史は辛すぎる。(T ^ T)
中国や朝鮮に当時あった、そちこちの国と親交をしたいた我が国、日本★
あっちの国と仲良くするなら、こちらとも・・・という感じで、お互いの国に使節を送ったり、逆に使節がこちらへ来たりで、日本からは絹や綿や工芸品などを贈り、渤海からは毛皮やニンジン、薬などを・・・。
んっ!?
これって、ニンジンはニンジンでも、朝鮮人参の事ではっ!?
この他、日本食文化史年表では、「朝鮮通信使が、徳川家康にニンジンを贈った」なる記事の後は、明治に入ってからの、ニンジン大増産(!)の記事へと続きます。
・・・それって、それまでのニンジンと、明治以降のニンジンって、どう考えてもニンジン自体が違う。。。(T ^ T)
渤海は、日本で言うなら奈良時代のちょっと前から平安時代にかけて存在していた国なので、この・・・平安時代のニンジンも、もしかしたら朝鮮人参の事かも。
さて、私達が食べている人参はセリ科の植物ですが、朝鮮人参の方は、ウコギ科の多年草なんだとか。
別名は、高麗人参。
・・・ちなみに高麗というのも、一時期、中国・朝鮮の辺りにあった国の名前だとか・・・もお、いや。(T▽T;)
調べ物は苦手なんだから、・・・あんまり、はわゆサンを悩ませないで下さいな、資料さん。
さて、気を取り直していきましょう。
ウコギというのは日本にも山野に自生していて、若葉を食べたり、乾燥した根皮は漢方生薬の五加皮(ごかひ)と呼ばれているそう。
強壮や利水、止痛に効果があるとか。
朝鮮人参の方はといえば、やっぱり朝鮮や中国東北部の山林樹下に自生する植物なんだそうで、造血作用があるとも言われ、その根の部分を、そのまま乾燥させたモノは白参。
一度蒸して、それから乾燥させたモノは飴色になるからか、紅参と呼ばれる漢方薬になるそう。
・・・ついつい、ニンジンという名前に騙されてしまっていた・・・はわゆサン★
こちらのニンジンは、全く別種のモノだったのね、まぁ、びっくり。(^◇^;)
時代劇を見ているとよく、裏長屋で、おとっつぁんや、おっかさんが寝ていたりして、、、
それでも、なんとかお医者に見せてみると、大抵は労咳(ろうがい:今でいう肺結核★)だったりして。
・・・「当時の、効果のある妙薬」となると、医者の知恵では、この朝鮮人参くらいしか思い浮かばず、そしてそれはもちろん、恐ろしく高価なので庶民には、おいそれとは使えない。(>_<)
まず大抵は、娘が身売り(!)をしたりしてお金を作るという・・・お定まりの展開になるんですが★
・・・でもでも、朝鮮人参には強壮効果はあっても、肺結核にまでは効果がないのでは・・・。(゜-゜)
肺結核には、今では抗生物質が使われますが、もちろんそれは、このお江戸の時代には存在しません。
例え人参が飲めたとしても、当時のおとっつぁん、おっかさんの病は、これでは救われないんだなぁと思うと、何だか・・・複雑な気持ちの、はわゆサンである★
ところで、お江戸の頃の人参は、朝鮮人参は長崎にあったという、対馬藩が独占輸入をしてました。
そして四代将軍・家綱の頃、朝鮮産の人参を専門販売する「朝鮮人参座」を作る事を許されます。
・・・何しろ人参は高価なモノだから、利潤は大きい。
バンバンやるにはまず、朝鮮から仕入れなくてはならず、その為には朝鮮とやり取りする金子が必要になる訳で★
朝鮮との貿易では、日本名でいう「人参代往古銀(にんじんだいおうこぎん)なる通貨」が使われていたんだそう。
これは「銀の純度が8割モノの、貿易用の通貨」で、また銀の純度がこれ以下だと、朝鮮側にやり取りを拒否されてしまうんですね。(^_^;)
・・・幕府の助けを借りて、京都の銀座で作らせていたんだそうですが、結局は輸入不振に陥り、対馬藩の人参座は六代将軍・家宣の時代に廃止の憂き目となりました。
・・・輸入に頼ってばかりではいかぬと、ようやくに目覚めたのか。
八代将軍・吉宗の時代になって、国内でも人参が栽培されるようになります。
こちらは「和人参」と呼ばれ、こちらの座も出来ましたが、十代将軍・家治の時代には閉鎖になったんだそうです。
日光の地で、初めて栽培に成功したという・・・和人参。
それを種にして、日本各地で栽培されていったので、「御種人参(おたねにんじん)」とも呼ばれたとか。
唯一、長生きをしたのは唐人参と呼ばれる、長崎貿易(朝鮮以外★)でやって来た人参ですが、これは中国産とは限らなかったよう。
・・・こちらの人参座は、十四代・家茂の頃まで栄えました。
・・・さて、かような人参騒動ではありますが、ちょっと面白いのが、諺(ことわざ)の類い。
「人参で行水」とは、医薬の限りを尽くして治療するとの例えだし★
「飴とムチ」ならぬ、「人参とムチ」だったり、「人参飲んで、首くくる」・・・などなど。
江戸の町にとっては、こちらの人参の方が、とっても身近な存在だったのかも知れません。(^-^)
さて、来年1月の更新には、ちょこっとした・・・リニューアルを試みたい・・・はわゆサンです★
そういえば、暖冬だ、暖冬だと言っていたのが、ずいぶんと寒くなりました。
皆さまも暖かくして、・・・色々と新聞を賑わせている記事もありますが、「ねんきらレシピ」なども参考にしながら、良い年の瀬をお迎え下さいませ。
12月、真剣試斬や殺陣のワークショップ、乗馬教室などのイベントも行っております。
ご興味のある方は、はわゆメールフォームをお使い下さればと存じます。<(_ _)>