春と言えば、三寒四温。
一雨ごとに暖かくなるとか申しますが、みなさまいかがお過ごしですか?
まいど、はわゆです。
3月11日は、 東北地方太平洋沖地震が起こった日です。
今年で4年目になるそうですが、はわゆサン的にもこの日は、この年は、とっても想い出深いモノがありました。
今回は、そんなお話をしてみたいと思います。
はわゆサンの母が亡くなったのは、2007年の秋のことでした。
・・・旅先の、温泉旅館の湯船で永眠した彼女でしたが、・・・ほんとに、まぁ。
遺された兄妹的には、「どこかのサスペンスドラマをまぁ、地で行っちゃったんだねぇ」
といった感のある、大事件ではありました。
そして、母と兄との3人暮らしであったのが、2人に減りました。
・・・これからもしかして、兄も私も、結婚もしなかったらもしかして、ずーーっと2人で東小金井の実家で暮らすのか(?)
それとも、一度は家を出てみて、互いに1人で生きてみるものか。
思い悩む日々が続きましたが、そこは・・・成り行きが好きな、はわゆサン★
「もし、そんな物件でもあったなら、渋谷にでも引っ越して、住んでみようっと」
と、思い立ちました。
・・・何故に、渋谷に住む気になったのかと言えば★
はわゆサンは、1999年から林先生の代わりに、「殺陣の代理講師を務める」ようになりました。
教えに行く先は当時、JR山手線の田端や、目白に恵比寿、そして殺陣道場総本部のある埼玉県の朝霞市でした。
そういえば、毎週水曜日に林先生が行っている殺陣の稽古場、蔵修館も渋谷にありますし、林先生の事務所も渋谷にあります。
東京の地理にうとい方の為に申し上げておきますが、恵比寿は、渋谷の隣りの駅になります。
恵比寿で教えるようになって、途中の空き時間が、なんと(!)
2時間30分もある日が、発生!
・・・そんな羽目におちいり、良い時間の潰し場所はないかと探っていた処、サウナ付の銭湯を発見(!)
かような訳で、
「この銭湯の近くで、洗濯物が干せるベランダのある、・・・もしかして戸外に洗濯機が置けて、自転車が置ける物件でもあったら、引っ越してみよう(!)」
と、思い立ちました。
これが、2011年の1月の事です。
何とか物件も決まり、さて契約となると、印鑑証明やら住民票やらを、市役所に取りに行く事に・・・。
今は「印鑑登録証カード」なるモノで、実印を持たずに印鑑証明がもらえるようになりま
したが、何故か兄妹2人のカードが、家のどこにも見つかりません。
市役所に尋ねてみると、こういった証明書を再発行してもらうには、当人が出向くのが一番手っとり早いとの事。
なので兄に車を出してもらい、隣りの駅にある市役所まで出掛ける事になりましたが、これは3月11日の昼頃の事。
家に戻って、それからは・・・後は皆さま、ご存知の通りです。
地震の後は、とにかく色々な事がありましたよね。
あらゆる商店で、「とにかく食品が、ない!」とテレビが騒ぎだしましたが、東小金井は
地元系の店が多いのか、たしかに量としては少ないものの、最後までお米や牛乳、卵なんかも店頭に並んでありました。
そういえば、ガソリンの、長蛇の列なんてのも、ありましたよね。
「ねんきらカメラマン・永井さん」は、どうしても都心部で撮影する事が多かったので、ガソリンについては、とってもとっても、苦労をされたんだとか★
「店によっては、くじ引きをやってて、当たれば満タンで入れてくれるなんて処もあったけど、ホントに入れてくれなくって、とにかく並んで並んでで、も~う、時間が掛かってもう、散々だった★」
・・・などと語りますが、この年の春のお彼岸に。
たしか、こんな状況だったので、少し遅れてのお墓参りだったのですが、青梅(東京でも、山梨に近い方★)の辺りでは、こういった騒動は起こらなかったんだそうです★
この騒動は、こう言っては何ですが、「東京でも、人気の少ない地方」では起こらなかったよう。(^_^;)
ただ皆さん、ご存知の通り、物流だけはホントに滞りましたよね。
ネットを引くのに、指定のプロバイダを使わなければならず、やむを得ずNTTと契約をしましたが、これが開通するまで、一ヶ月以上も待たされたり。
実家は、「家具はすべて、建て付け」だったので、引っ越し荷物の中には、洋服ダンスや棚といったモノが一切ありません。
エレベーターがないので、階段を運ぶのが面倒★
なので、通販で家具など頼みましたが、やたらと時間が掛かって、もろもろ片付くまで、一ヶ月以上掛かりました。( ̄_ ̄ i)
この間、福島は、青森、岩手の被災地は・・・と、毎日のように繰り返すニュースの中で。
母方の故郷は、岩手県の陸前高田と仙台でしたが、母が亡くなってしまってしまうと、遠
い親戚の名前すらも判らず。
子供の頃に1度、遊びに行ったくらいなので、土地の名前や記憶はあっても、個人的には、どうしてあげる事もできませんでした。
この年の夏に、はわゆ兄は陸前高田を訪れたようですが、
「子供の頃(1970年代)に行った時、陸前高田には昔、7メートルの大津波が来たからって、備えの防波堤が出来て嬉しいって、おばさんが自慢してたけど、今回のはそれを易々と乗り越えて来たからなぁ・・・」
と語り、昔の記憶の面影はもちろんないものの、ただ山の上にあったので、先祖のお墓だけは無事だったと言ってました。
あれから、4年の歳月が経ちました。
消費税は8%に上がるし、「景気は良くなっている」と盛んに、かの人が叫んでますが、もろもろ考えて、もう少し家賃の安い物件に移る事を考えるようになりました。
ありがたい事に、この度のお部屋は珍しくも、フルリニューアル物件に巡り合い、駅からは遠くなりはしたものの、幸先の良いスタートが切れそうです。
・・・そういえば、4年前といえば★
大変だった事のもう一つに、会社で持っている水道橋の物件の住人が、よそに引っ越していってしまった事でしょうか。
・・・引っ越して行かれるのは、仕方のない事★
判ってますが、時期が悪すぎ(!)
・・・これがまた、水道橋のマンションは、築40年モノの物件だったので、手を入れるにしても、とにかく設備的に古くて、今の時代にはマッチしていないとか、不動産屋さんはおっしゃる。。。 (-“-)
この地震で、マンションにも幾つかの騒ぎが起こっておりました。
なんと(!)
幾つかのお部屋で、ボイラー給湯機が転倒して、倒壊(!)
お部屋の主は帰宅難民、ようやくに家に着いたと思ったら、お部屋が全て水浸しで、しかも収まるどころか、どんどんと水が上から降って来たとか・・・。
・・・給湯機のタンクって、中に入ってる水量は、300~400リットルだとか★
バケツなんかで対応しきれない量が、上の部屋からボトボトと落ちて来て、しかも上の住人も、・・・そこはやはり帰宅難民なのか、全く持って連絡も取れず。
はわゆサンも、この年のマンション総会に出席しましたが、保険がどうのとか、とにかく
この年の総会は、荒れました・・・。
かような訳で、思いきった(!)改装工事をしてのけたんですが★
3月にお部屋を出て行かれると、工事が始まるのが、どうしても4月から5月にかけて。。。
丁度、被災地では仮設住宅が建ち始める頃で、仮設に丁度良いくらいの大きさのシステム
キッチンやお風呂の機材や床材、壁のクロス素材が少なく・・・。
この大改装工事も困難を極めたんですが、ちなみにここには、当社が20年以上前に設置した、BSアンテナがまだありました。
・・・4年前は、はわゆマンションにはまだ、ケーブルテレビの設備はありませんでした。
なので、「これを引っぺがして持って行って、こちらで付けてしまえ」と頑張りましたが、いざ近所の電気屋さんを尋ねてお願いした処、「20年モノの機材は、今ではもう使えない」という事が判明(!)
・・・悩んだ挙句に、新しいモノを買って、付けてもらったりもしましたが、これにも1
ヶ月以上掛かりました。
・・・つらつらと思うに、そういえばと思いだしました。
水道橋マンションは、賃貸に回した頃に総会で決まって、各部屋にケーブルテレビが設置されていたんでした(!)
おそらく、このアンテナが無くてもBSは見れたでしょうし、捨てるのにもお金が掛かるので、そのまま放置されていたんではないでしょうか。
・・・20年以上前には、10万以上したBSアンテナも、今では1万ちょっとの金額に。
感慨深いです。(T ^ T)
かような訳で、4月の更新は、新居での初仕事になります。
心機一転の「ねんきら」、これからも楽しんで戴けると嬉しいです。
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