「ねんきら」もいよいよ、3年目に突入~っ! (^_^)v
レシピ数も300(!)を超え、今月の旬食材はと言えば、はわゆサンも大好物っ!
・・・そこはまぁ、(旬食材といえば)選ぶ立場のある・・・はわゆサンが好きな物が並んでしまう傾向には、ありますが★
おそらくは、皆さんもお好きかと思われる・・・アユと、シソでございます。
旬食材の数も、50を超えました。
「ねんきら」を始めた当初を振り返れば、まぁ・・・。
1回に掲載するレシピ数も増えれば、総合カットもなんだか色々と増えてまいりましたねぇ、いや、しみじみ・・・。
やっている内に何だか、
「こんなページが、(自分の為にも)欲しい(!)」
・・・と、思うようになってきてしまった、はわゆサン★
大事業を一気に成し遂げる事はできませんが、気長に、ぼつぼつとやっていきたいと思っております。
ある日気付いたら、新しいページが増えていて、あらあら不思議。
あらこれ、けっこう便利だわ・・・なんて。
きっと、お料理に関してなら、はわゆサンと同じ思いをしている人も、この世の中には、いるはずっ。
よろしく利用して戴けたならと、思います。 (^_^;)
・・・はてさて。
今月のお題ですが、先月の鰹と並んで、長らく日本人に愛されて来たという、アユさんでございます。 (゜-゜)
太古の昔より日本ではアユは、神前に贄(にえ)として供えては、占いに使ってみたりもした事から、「魚」へんに、「占い」という文字を充てたモノでしょうか(?)
旬エッセイでもご紹介をしましたが、アユの歴史を辿ってゆくと、古くは「大化の改新」にまで遡ります、、、
・・・蘇我入鹿がどうの、クーデターが何やら。 (^_^;)
その後に生じたという、日本初の(!)天皇の「改新の詔(みことのり)」により、古(いにしえ)の税制度である、租庸調が「調」の一つとして、アユさんはその姿を様々に変えては、日の下の民のお役に立ってきたというから、驚きです。
歴史と調べモノが苦手な・・・はわゆサン★
先月のカツオの時もそうだったんですが、アユさんの場合もしかり。
・・・余りにも、振り返れる歳月の長さに、圧倒されまくった食材でした。
それほどに、日本人には今も愛されている魚なのだなぁとも、思いましたが・・・。
旬エッセイだけでは、しきれなかった「こぼれ話」を、こちらでもぼちぼち、ご紹介していきましょうか。
学のない・・・はわゆサンですが★
「ねんきら」始めて3年目にもなると、色々と知識も増えてまいりました。
先月の、鰹でも出てきた「延喜式(えんぎしき)」という書物でございます・・・。 (-“-)
平安の中期に発行された書物なんだそうですが、内容はといえば、「律令(という法律)の、施行細則」。
・・・日本の食文化を掘り起こすのに、大きな貢献をしているそうなんですが、書物自体は、先ほども申した通りに、平安時代に。
ただ、この法律が出来た時代というのが例の、「大化の改新という歴史的事件(!)」にまで遡ります。
・・・ここで、先ほどの当時のお偉いサンであった、蘇我入鹿がまず、暗殺っ!
代わって日本のトップに躍り出たのが天皇で、様々な法律を定めていきます。
まず、「祖」というのは。
日本なので、もちろんお米を指すんですが、秋の収穫の3%をまず、国に納めること。
ついで「庸」とは、都まで自ら、往復交通費は自腹で出向き(!)
・・・天皇様が定めた一定期間を、宮の為に、言われるままに、タダ働きをすること(!)
そして「調」と言えば上記の他に、「地方の特産物も、それぞれに従って、税として納めなさいね」という・・・振り返れば、余りにもなお話でございました。 (^^;;
当時の日本の庶民は、この「3形態の税金を納める義務(!)」がある日突然、天皇というお方様からより、課せられてしまったという訳です。
アユは、別名を「年魚(一年で、一生を終えるから)」とも言いますが、その香りが良い事から、「香魚」とも呼ばれています。
古くは今は奈良県にあったという平城京や、藤原京の木簡資料(木の板に記された文字らしい★)に、その名が様々な形で、語られております。
「生(なま)年魚」や、「煮塩(にしお)年魚」、「煮乾(にぼし)年魚」に「火乾(ひぼし)年魚」、「塩塗(しおぬり)年魚」、「押(おし)年魚」、「漬塩(つけしお)年魚」。
もう、鮓(すし)年魚などという字も見られ、この鮓というのは、東南アジアや中国でも知られる加工法で、いわゆる鮎の馴(なれ)鮓のこと。
・・・今や京都の駅弁にまで登場する「鮎のお寿司」ですが、古くはこんな時代にまで遡って、(駅弁はさすがに、馴れ鮓ではないけど★)もうはや、活躍をしていたんですねぇ・・・しみじみ★
鮎といえば、その豊富な栄養素・内臓を使っての珍味も忘れてはいけません。
うるかは、鮎のハラワタだけで作った塩辛の事。
苦いハラワタで作ったから、「苦(にが)うるか」とか、「渋(しぶ)うるか」と呼ぶ処もあるとか。
・・・そのほか、アユの卵だけで作れば、「子うるか」に。
白子(オスの精巣)を使えば、「白うるか」。
両者取り混ぜての、「取り混ぜうるか」というモノもあるそう。
・・・とにかく、日の下の民には愛されていたようで、秋の、海へ下ってゆくアユはまずは、頭から。
夏から川を遡ってゆくアユは、下(くだ)りから食べるべきだとは書物、「大草殿(おおくさどの)」にも。
・・・これは、現存する最も古い料理書(室町時代の食膳やら、食事作法について紹介★)です。
特に、「焼き鮎」と銘打っているからには、とにかく古くから、鮎はやっぱり塩焼きがメインだったのか。。。
これが、お江戸の時代になったら、どうなったものでしょうか。
初代将軍・家康の時代なら、まだまだ・・・といった処でしょうか。
何しろ当時は、「お城や街造りの普請にまだまだ、精一杯だった、お江戸の町」です。
「もともと荒れ地だった土地を、お城と城下町にしていく」には、働く人足人口の絶対必要数は多いし★
・・・かといって、開墾してまだしばらく・・・といった様子では、耕作地はまだ少ないしで、庶民は食べ物を口にするのも精一杯(!)
・・・それが、ようやくに開墾が進んで田畑が整い、街道までも整備されてくれば、庶民といえども、ちょいと余裕も出て来ます。
・・・何しろ、先行き短いご時世だから★
庶民なら、その寿命は「人生50年」よりも短かったことでしょう。
いつ、何が起こって死ぬ羽目になるかもわかりません★ (^▽^;)
どんどんと、「食べれば寿命が3年伸びるという初物を、ありがたく頂戴する」ご時世に。
・・・これが、とんでもなく発展してしまって、とうとうお上からは、
「この食べ物は、何月からしか、食べてはいけない!」
・・・な~んてお触れまで出てますが、そんなむずかしい事は、どこかでやってくれと言うのがまた・・・、お江戸の庶民でもあったらしいんですよね。 (〃∇〃)
・・・なにしろ、子供はなかなか大きく育つまで生きてはいないし、原因不明の難病は流行るわ、食べ物についてだって、何が毒やら、深くは解明されていないやら・・・★
現代とは違って、衛生事情もけして良くないし、ホントに、いつ何で死ぬか、わからない世の中でした。
アユは別名、「香魚」とも呼ばれるくらいなので、とにかくも、香りが命。
現代でも、今一つ(遺伝子レベルまでの)生態が解明されていなくて、研究中のようなんですが、このアユさん★
はわゆ蔵書に、「鮎石焼」なんて字が見えましたが、釣りたての鮎を、川石に乗せて焼いて食べたレシピみたいですねぇ、ふ~ん。 (゜-゜)
土地の人はそれで良くても、・・・なにしろ、お江戸で最上級のアユを食べようって事になったら、それが釣れるのは玉(多摩川)辺りだったとか★
この香りがイキな魚(!)だからこそ、釣ってすぐに、魚に塩を振るなんて事はしなかったんだそうで。 (^_^;)
・・・そのまま、お江戸までひたすらに、ひた走って駆け届けるという商売があったという事だから。
それも時期になれば、これがけっこうな稼ぎになっていたというから、もうはや、かの頃は、良き時代だったというべきなのでしょうか。
「鮎かつぎ」なる仕事が、その当時のお江戸にはあって★
その日に上がったアユを、10里(約40キロ程★)離れた内藤新宿の鮎問屋にまで、ひた走りに走って、駆け届ける(!)
・・・これはもちろん、夜中だろうがお構いなしの商売だったんだそうで、その代わりといっては何ですが、当時は「日傭(ひよう)取り」と呼ばれた仕事の中では、割高の御給金が戴けたのだとか★
・・・時速40キロの車なら、1時間の道のりを、人は一体、どれほどの時を掛けて走り抜けていたのでしょうか。
ちなみに、「玉川は、鵜飼で獲ったアユは、極上の献上品」に成りえたので、これはもちろん、お殿様が食べていたとか。
専用の平たい鮎籠に、殺菌効果の高い熊笹を敷いては、もちろん献上品だから丁寧に、きれいに並べた事でしょう。
・・・もちろん、並べた上からも、この笹で大事に覆って、鮎の香りが逃げるのと、傷んでいくのを防いで・・・。
この鮎籠を、ひょいと天秤棒に担いだら、もちろん並べた形は崩さず、魚に傷を付けないように気を配りながら、お江戸までひた走るという、その稼業(!)
・・・その気遣いだけで、現代人なら過労死かも。 (^_^;)
途中、武蔵野の辺り(あぁ、はわゆサンの実家の辺り・・・★)を通ると。
何しろ新鮮(!)な鮎の匂いを、ぷんっぷん(!)させて走るので、どんなに頑張っても、動物達が寄って来ます。。。
・・・狙ってくるキツネなんかを防ぐべく、歌いながら運んだという、その「鮎歌」は、「シーズン中は、鮎問屋のある内藤新宿の、名物だった・・・」なんて★
今のネオンがギラギラの新宿では、どう頑張ってみても想像できない、もはやメルヘンの絵空事のようですね。 (^▽^;)
俳句では、若鮎といえば春の季語で、落ち鮎とか、さび鮎といえば、秋を指すそう。
この「さび」は鮎の、婚姻色なんだそう。
・・・春は川を上っていって、秋には卵を産んで、孵化した稚魚は海へと下っていく・・・アユ。
見れば高級店では、はわゆサンなんかは見た事もないようなメニューが並んでいるようですが、やっぱり塩焼きが良いなぁ。。。
今回は、そんな「こぼれ話」を、ご紹介してみました。
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