7月も、10日を過ぎました。
東京ではようやく太陽が拝めたという昨今ですが、皆さまいかがお過ごしですか?
ご無沙汰しておりますの、はわゆでっす!
・・・はてさて。
「ねんきら」も3年目に突入(!)
いつまで続くことやら・・・なんて思っていた位なんですが、毎月、自分で設けた締め切りに追われている内に、2年経っちゃいました。 (^^;;
その間に、なんと(!)
「ねんきらフードコーディネーター」の飯嶋知晴先生が、グルマン世界料理本大賞2015で、先生の著書「野菜スムージー&スープレシピ120」が、BEST PHOTOGRAPHY部門で第3位(!)に選ばれましたっ!
・・・もともと、「スムージーレシピ100」なる本が過去、出版されていたそうなんですが、それを超える「レシピ120本(!)」という運びに、飯嶋先生も当時は頭を悩まされていたようなんですが、その努力が実られていや、実に目出度いっ!!
・・・飯嶋先生はもともと、イタリアンコックから料理道を歩み始められたとの事☆
これまでも「はわゆリクエスト」で「鉢植え料理」を連載して戴いていたんですが、たまには飯嶋先生のホームグラウンド、「イタ飯フェア~☆」をしては・・・という飯嶋先生の提案に、「それも、良いかな・・・」とか思った、はわゆサン★
聞けばイタリアは、南北に細長い国なので、寒い国のレシピもあればまた、温かい国のレシピもあり。
それも海辺や山辺、それぞれに特徴のあるレシピが楽しめると聞きます。
かような訳で、気楽~☆に始めてしまった「イタリアンふぇあ」なんですが★
・・・けっこう枕から、ダイナミックなレシピ「仔羊のロースト、タプナードソース」に、こちらは旬食材を活かした「オクラのフリット」が選ばれましたっ。
産まれて初めて見る、子羊のおっきなブロック肉・・・。
1人暮らしでは、こんな大きなお肉を見るチャンスは、まずない。。。 (^_^;)
また「ねんきら」では、各レシピにそれぞれ、ミニエッセイを添えてご紹介をしています。
今回、「オクラのフリット」と来て、はてさて、「フリット」と「ピカタ」ってのは、調理法としては何やら同じに見えるのだけど一体、何がどう違うのか・・・??? ( ̄_ ̄ i)
「フリット」はもともとフランス語で、「揚げる(!)」という意味だとか。
色々調べている内に、はわゆサン愛用の電子辞書、広辞苑さんではこう書いてありました(!)
「子牛などの薄切肉に小麦粉と溶き卵をつけ、バターで焼いた料理(!)」
・・・おぉお~っ、広辞苑さん、お前さんはやっぱり、エライお人だねぇ~・・・。 ヽ(^◇^)ノ
同じようなレシピに見えても、バターじゃ揚げモノはしないもんね(!)
「フリット」は油焼きで、「ピカタ」ってのは、バター焼きの意味なんですかい???
・・・なんて思っていたら★
この辞書さんは複数検索できるので、別の説明を見てみるとこれまた、「サラダ油で焼く」だの、「油で焼く」などの記述も出てきて★
・・・思うに、昨今の健康ブームで、例えばバターをサラダ油に変えたり、はたまたそれも、当時は一番人気であったオリーブ油になったり・・・などなど。
主婦のレシピブログなどでも、かな~り混同しているようで、でもご家庭なら、たまたま作ろうと思っていたらバターがなかったりとか、色々事情やポリシーもあるますものね。 (゜-゜)
なんて、うぬうぬ考えていた・・・はわゆサンなんですが、タイトルにこの辺りで戻ります。
はわゆサンが、実家のある東京都は東小金井から23区の渋谷区に越して来て、今年で5年目になります。
・・・こちらに越してくると、氷川神社がまずあって、そ
のお隣りさんには、お寺さんがあってお墓もあり・・・。
どちらも桜の時期はキレイで、毎年夜桜見物も楽しませて戴き、ふらふらと過ごして参りました。
広辞苑サンによれば、桜はバラ科サクラ属の落葉高木、または低木の一種。
梅や桃、杏なんかも、同じサクラ属の木なんだそう。
中国やヒマラヤにも数種あるけど、日本が最も品種が多い(!)
・・・ついつい、桜といえばソメイヨシノばかりを思い浮かべてしまいますが、これは皆さまご存知の通り、江戸の末期に、染井村(豊島区)で植木屋さんから売り出された品種と資料にあります。
ヒガンザクラ(写真・左下)と、オオシマザクラの雑種に分類されるモノらしい。
それでは江戸以前の頃の桜は、どんな品種が多かったのでしょうか。
日本の山野には、ヤマザクラやオオシマザクラ(ソメイヨシノの元)、その他カスミザクラ(別名、里桜)などで、こちらはヤマザクラ系統。
その他、チョウジザクラ、マメザクラ、ミネザクラがもともと自生していたのだそうで、その後、中国大陸からは台湾原産のカンヒザクラも暖地に植えられたそう。
日本のお花見は有名ですが、過去を遡ればその一代イベントの出発点は、「豊臣秀吉の吉野の花見(!)」らしいんです。
・・・この時、秀吉が眺めたのはヤマザクラなんだそう。
ちなみに、なんですが★
古くは「古墳時代から、奈良時代までを股に掛け」なんと、350年間(!)
あらゆる類いの歌を集めたという歌集、現存最古の「万葉集の時代」では、桜を詠む歌より、梅を詠む方が多く(当時は白梅のみで、紅梅はなかった★)。
平安の時代になって、紀貫之さんが編纂したという歌集「古今和歌集」では今度は、桜の歌が多くなるとか。
・・・平安のお公家さんも、「もちろん、お花見を嗜まれた」そうなんですが、もともとは旧暦の3月3日(新暦だと、4月8日頃)、「老若男女が地域の決まった山に登っては、飲食をして楽しむ行事」だったんだそう。
この時代での花宴・花見は全国的に、豊作や長寿への祈願が込められた儀礼の一つだったんだとか。
なんでも、サクラの「サ」は稲田の神霊を。
「クラ」が、神霊の依(よ)り鎮まる座を意味しているという説も。(゜-゜)
・・・春になって、新暦の4月となれば山登りの足元も大分に良くなってきている、この時期。
平安の頃ならまだ、日本の人口も少なかったことでしょう。
みんなで誘いあって山へ登り、花を見上げて「今年1年、皆が健康でなにより、豊作でありますように」との、祈りの儀式であったという説なのです。
・・・それから、800年くらい時が流れてしまえば★
お江戸の頃になれば、花の名所は人工的にそちこちに作られ、今の世の私達にも、その花で楽しませてくれます。
・・・戦もなく、平和が続いたお江戸の頃、一大園芸ブーム(!)が巻き起こっていた(!)んだそうで、武家の家を継ぐ長男はともかく、次男や三男は婿に行くか、それも出来ないなら一生を長男の世話になって生きるかの、二択しか生きる道がありません。 (^_^;)
そんな時には、この園芸ブームに乗っかり、例えば「朝顔の品種改良などをして、植木屋まがいの仕事をすれば、冷や飯食いにも良い小遣い稼ぎになった」と、資料にあります。
駒込や巣鴨、染井(どこも豊島区)の植木屋達が、きそってこの園芸ブームの中心にいました。
そんな・・・中で、はわゆサン★
引っ越してから数ヶ月、ちょいと近所を探索にと自転車をこぎ出した処、はわゆ事務所のすぐ裏辺りに、「塙保己一資料館」なる建物を発見致しました。
入口の看板には、斎藤茂三郎初代理事長を筆頭に、渋沢栄一、三井八郎などなど、歴史の苦手な・・・はわゆサンでも、見知った名前の一つ二つが。
見れば入館料も100円という事で、面白半分ながら、拝観してみる事に致しました。
・・・そういえば、はわゆ事務所の近くには国学院大学があるのですが。
この辺りの地域は蘭学というより、国学に親しいお土地柄でもあるよう。
中でお話を聞いてみると、お江戸の9代将軍家重の時代に保己一は、今の埼玉県本庄市に産まれたのですが、7歳の時に肺の病で失明(!)してしまいます。
それから紆余曲折あって、十一代家斉将軍の頃に、日本の様々な国学書物を編纂した「群書類従」をまとめ上げるのです。
・・・何しろ、盲目のお方です。
たくさんの書物を「まず、誰かに読んでもらって」、それを全て脳裏にインプット(!)
要らない書類は削除し、必要な書類を整理整頓、国学として書物にするには、またもや「誰かに、言い述べた事柄を記載してもらい」。
それを書物に起こすには、「誰かに、お金を寄贈してもらい」、「誰かが版木を彫り」、「それに墨を塗って、誰かが印刷して和綴じの本に装丁」してもらうという、実に気の長い作業が・・・。 (^_^;)
見ればこの書物は、「聖徳太子の時代からの記録で始まる」んだそうで★
なので、とある時代なら漢文だし、平安の頃なら平仮名が出来てきたので、草書体で。
さまざまな時代時代の書物(というより、版木★)が、全国のあちこち、散り散りになっていたのを昭和2年に、渋谷のこの土地まで全て(666編)集められ(!)、今もこの地に1編も欠けずに残されているとか。
・・・途中、大正時代の関東大震災では倉庫が倒壊したけれども、版木はなんとか災禍を逃れ。
この地に移るも、東京大空襲の折には、斎藤茂三郎さん達が必死の消火活動で守って来たのだそう。
これらの版木は、全て桜の木で作られている(!)んだそう。
・・・古来より日本では、桜は造船の材料にも良いとされていたそうなんですが、版木には最適な材料なんだとか★
彫る時には堅くて難儀なようですが、一度彫ってしまえば、日本の春夏秋冬、この湿気の多い時期にも耐えます。
ちなみにこちらの書物は、今や電算でパソコンの時代なれど。
大学の先生なんかが、「生の資料を見たい!」
・・・はたまた、書道を嗜む方が資料にしたいと請われるなら今も、墨を塗って印刷、書物にして綴じて販売(!)
つまり、お江戸の頃から生き続ける版木達は、今も現役(!)なんだそうで、だからこそカビも生えずに666編、皆さま、元気にお暮らしになっておられるのだそうです。。。
はわゆ芝居のチラシやパンフレット、DVDのパッケージなどのデザインをして下さる本永惠子さんのお話によれば、デザイナーの物差しも桜の木が使われていたんだそうです。
・・・日本のこの湿気、四季に負けずに「素材が伸びたり、曲がったりしない桜の木」は、国花としてだけでなく、日本人にはもっと密着な存在であった。。。
なんだかカンドーして、すっかり感じ入ってしまった・・・はわゆサンで、ござりました。