・・・11月の「きらきらエッセイ」更新は、ぎっちょん、ギッチョン!

29日という酷さでございますが、それでもやるだけはやってしまう・・・はわゆサンでございます~。
暖かかったり、寒かったり。
20140415140221今は一体、どの季節なのっ!?といった昨今ですが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

twitterなどでは、ご紹介をしているんですが★
11月30日月曜日林邦史朗先生が過去、殺陣を振り付けた作品が、NHK「ひるまえほっと」(11時5分~54分)で紹介されますっ。
林先生の紹介も、入る予定です。
よろしければ、ご覧くださいませ~。(^-^)

ところで、「林邦史朗先生のHPを、1から立ち上げた」・・・はわゆサンでありますが★

先生の過去の実績を見ますと、「テレビ映画」なんて文字があります。
そもそも、テレビ映画というのは何ぞや・・・???
_N0A0213林先生に聞いてみました処、・・・先生が子供だった76年前の当時はなるほど、娯楽といえば、映画が全盛期の日本ではありましたよね。 (゜-゜)

映画ならフィルム録画になりますし、テレビ放送用ならビデオ録画という事なんですが★
・・・映画は、重ね撮りの出来ないフィルム撮影なので、どれも保存状態さえ良ければ残されているから、今も私達は楽しめる訳です。

ところがビデオ撮影なら・・・、VHSにベータ録画なんて、もはや懐かしい世界のお話ですよね。(^_^;)

今でこそ、DVDやHDD録画が当たり前の世の中ですが、それまでは、何処のご家庭でもビデオに予約録画の時代でした。
そのビデオテープが開発されるまではもちろん、フィルム録画(しか、技術的に出来ない★)時代がまぁ、長らくとあった・・・訳です。

映画館での公開用ではなく、公共放送で発表する用なんだけれど、撮影手段がフィルムしかなかった・・・。

これが、「テレビ映画なる表記」となります訳でございます。。。
ようやくに、ビデオ撮りが出来るようになっても、始まった当初は20分テープだったそう。
i_lineup00062誰かがNGを出すと、全てやり直すしかなかったそうですから、いやはや、過酷な撮影現場だった訳ですよね。(^^;;

・・・これは今もそうですが、出来たばかりの機材というのは、高価なモノですよね。
ビデオ撮りが始まった当初は、予算の都合もあってか、やむなく以前のテープを何度も使いまわしていました★
なので、大昔の大河ドラマの映像は、フィルム撮影なので現在も残されているんですが。
ビデオ撮影が始まった当初の映像は、かような訳で、多くの放送局はその記録を残す事をしませんでした。 (T ^ T)
・・・TBSだけは残していたと、聞いた事はありますが。

かような訳で、林先生の若い頃の活躍も、そうは見る事が叶いません。

「役者さんが、自分の記念の為に残していた映像」など、昨今では協力を促しているようですが、林先生も、少量ではありますが、自らの殺陣のシーンを提供したりもあったよう。
yjimage今回の「ひるまえほっと」では、1973年の「天下堂々」という番組で、村野武範さんが所有していたという映像です。

村野さんは、平手造酒(ひらて・みき)という役を演じていたとの事。
・・・この平手造酒、実在する人物だというから、驚きです。 ( ̄_ ̄ i)
今も、千葉県は香取郡の延命寺に、お墓が残されているとか。
本名は、平田深喜(ひらた・みき・・・深水、三亀とも書くそう)。
紀州だか仙台だか、とにかく、とある藩出身の浪人であったようです。

天保8(1837)年!

千葉県は香取郡、笹川繁蔵親分の客分となったそうなんですが、結核患いで、大酒呑みというキャラクター(!)
天保水滸伝などの映画や講談、昭和の歌謡曲にも多く、登場をしている人物なんだそうです。(゜-゜)

yjimage・・・はわゆサンが知っているのはおそらく、三波春夫さんの一曲である、「大利根無情」かと。
それも昔、亡き母が旅の途中で、車がちょうど利根川を渡っている最中に、歌ではなく★
・・・この曲には、1番と2番の間に台詞がありまして、それを彼女が語るので、初めてその存在を知ったという、何とも・・・うーむ★ (^_^;)

三波春夫さんは、もとは講談師から歌手になられたお方だそう。
なのでその歌はもちろん、その台詞回しも達者だったと、紹介されています。
当時の、はわゆママの申す事には、
「平手造酒ってのは、肺病病みでもう、大酒呑みでさぁ、
・・・もう、死に死にムード(!)なのに、お世話になった親分さんの決闘に、義理があるからってのに助太刀に行って、結局は死んじゃったのよ。バカだよねぇ、寝てりゃ良かったのにさぁ~・・・」
といった、説明でした・・・。

hqdefault「止めて下さるな 妙心殿
落ちぶれ果てても 平手は武士じゃ
男の散りぎわは 知って居りもうす
行かねばならぬ 行かねばならぬのだ~っ・・・」

・・・これが名台詞(!)なんだそうですが★
利根川ってのは、渡るにはけっこうに幅のある川ですから、その間にそんな話をしていたのですが。
逆に言えば、そこしか聞いていなかった(!)ので。

今回調べてみて初めて、これが史実として正しいかどうかは定かでないにしても・・・造酒さん★

お江戸は、神田お玉ヶ池の千葉道場に通う、かの千葉周作の門下生で、俊英であられた事とか。
1・・・奥さんを亡くして、その心の傷を癒す為にもと酒に走り、とうとう酒乱になってしまったが故に、結局は千葉道場から破門を言い渡されてしまったなる人物設定であった・・・などなど。
色々と知る事にも、なりました。
へ~え・・・。(゜-゜)

流浪の末に、下総は香取郡、松崎(現在は、松崎町)の名主さんの家に身を寄せる事になった・・・造酒さん。
氏素性の処は結局、よくは判っていないんだそうですが、この地で剣術道場を開いていたという事実を考えても。

・・・これは、絶対に名主さんの協力がなくしては出来なかったでしょうし、・・・という事は、人格的にも優れていたお方だったのではないでしょうか・・・???
そしてこの地で、博徒である笹川繁蔵さんと知り合い、客分にまでなるんですが。
・・・この二人、馬が合ったという事なんでしょうかねぇ~・・・。 (゜-゜)

そして、天保15(1844)年の8月3日。

飯岡助五郎一家と笹川一家が、大利根河原で、血闘を始めます(!)
ohotonegawara・・・お話では造酒さん、病の身でもあるし、客分とはいえ、笹川の親分さん一家と造酒さんは縁(ゆかり)のない事、なので、親分さんは造酒さんには、知らせる事をしなかった・・・という事に。

ところが、それを知った造酒さん★
先ほどの台詞を、長々と叫び(!)
利根川河原にまで駆け付け、笹川方に助太刀(!)
・・・そこで刃に倒れ、翌日に亡くなったという事です。
・・・享年30歳とか、30代とも。

昨年、「林邦史朗の殺陣ライブ」公演を行ったのですが。

そこで「殺陣の振付・実践コーナー」を設けたのですが、これがけっこうに好評でした。
次回やるなら、どんな演目が良いかと話していた折に、林先生が出した演目は、
07-14.05.18 IMG_0331「去年やった座頭市や円月殺法なんかも良いんだけど、丹下左膳とか、平手造酒も良いんだよなぁ~・・・」
と、仰っていました。
その映像が(しかも、林先生が振り付けた殺陣で☆)見られるかも知れないとの事で、はわゆサンも、とても楽しみにしているんです。

・・・末筆になりますが。

このHPの創設より「健康アドバイザーとして、ご協力」を戴いていた・・・林邦史朗先生が、2015年10月29日22時25分に、ご自宅で亡くなられました。
膵臓癌でした。

8月の2日と16日の、恒例の「真剣刀法と殺陣のWS」は、もちろんのこと。
同月26日(緊急入院される2日前)、恒例の若駒アクションクラブの稽古まで、具合が悪いながらも、自ら指導をされておられました。
・・・先生のご冥福を祈ると共に、私ともう一人の林邦史朗先生の後継ぎ、中川邦史朗と共に、先生の志を繋いで行きたいと私、山野亜紀は願っております。