東京では、ようやく。
キレイな桜を拝められたかと思いきや、雨が降って一挙に散りまくり(!)
それでも渋谷区は明治通り沿いや、今年は初めて目黒川の桜も堪能。
お花見会にも参加して、とりあえず桜だけは堪能できたかも・・・なんて思っていたんですが。
4月14日に熊本地震が起こり、つくづくこの国は災害の多い国だと痛感した・・・はわゆサンです。
かの地に稽古仲間が1人いたので連絡してみた処、彼の方は無事だったようですが、熊本城が・・・。
加藤清正も、震度7には耐えられなかったよう。
・・・被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
さて、林邦史朗先生が亡くなられて、今月で半年になります。
はわゆサンの周囲も、随分に変わりましたが、まずご報告があります。
林邦史朗先生が亡くなられたのを機に、・・・はわゆサン★
16年携わっていた「殺陣の代理講師の任」から、解かれる事になりました。
今まで週に多い時では、4日間くらいをタレント養成所などに通い。
その他、殺陣の稽古で2日、イベントを月に3回行っていた人生だったのですが、それぞれに見直し。
・・・特にイベントは、「林先生と、2人でだからやって来れた」処があり、ただ一人でずっと、ずーーーっとやって行くというのは、かなりムリがあるかもで・・・。 (^_^;)
というのは、林先生の代理は、はわゆサンが務めてきました。
ですが、はわゆサン、代わりにやって下さる方がいないのです。。。
はぁ、孤独★
かような訳で、ありまして。
それまでレッスンや稽古で追いまくられていた分、時間に余裕ができました。
・・・そこがまた、はわゆサンです。 (^_^)v
もともと、「林先生と共催していた、先生創始の武劇公演の集客」を考えて、名刺交換会のようなイベントに、けっこうに出席をしていたり。
林先生のマネージャーを務めていた事もあって、今少し、時代劇の衣装・風俗を勉強できたら・・・という思いがあったからこそ、この「ねんきらHP」も始めました。
とにかく、はわゆサン★
調べ物と歴史が苦手な事は、ご存知の方もいらっしゃる事と思いますが、ドンドン(!)
この「ねんきらHP」のおかげで、食べ物を通して、とにかく色々な勉強をしてきたのは確かです。
さて、先ほどの名刺交換イベントですが。
それには講演がセット(!)になっていて、戦国大名のご子孫を迎えて・・・というのが多かったんです。
はわゆサン、師匠が50年以上、殺陣・武術指導を務めて来られた方だったとはいえ、自身は歴史が大の苦手(!)だったので、そこを少し攻めてみようか・・・という試みでした。
黒田官兵衛のご子孫の話に始まって、武田信玄に木戸孝允、長曾我部元親に行って、西郷隆盛に上杉鷹山、島津義弘・・・などなど。
ご子孫の方とお会いして思ったのは、皆さんそれぞれ、品が良い事。
そして、それぞれに講演経験が多いようで、お話が非常に面白かったんです。
・・・それまでの、はわゆサン★
学生時代は、「歴史の授業は、年号がテストで出るからキライという人生」だったんです。
それは尾を引いて、ウン十ウン年続いて来たのですが、、、 (^_^;)
ご子孫のお話をそれぞれに聞いてみて、具体的なイメージが湧くようになったせいか、だんだんと楽しく思えてきたのでした。
食事とセットのモノは高価な場合もありますが、朝の勉強会とかなら、はわゆサンでもお付き合いできます。 (^_^)v
特に関ヶ原の戦いなんて、ドラマでは何度も取り上げられているネタなんですが、こうしてご子孫の方からお話を聞くと、「ドラマなら、ナレーションで済まされてしまう説明」を、やれ敵が何人で、こうした事情がこちら側にはあって・・・云々なる説明が細かく聞けるので、とても楽しめました。
さて、今年のお正月の事です。
はわゆ兄と2人で、恒例のお正月旅行で九州に行って来たのですが、まずは飛行機に乗って、例の・・・黒田官兵衛が治めていたという福岡の土地で、鯖のお刺身に舌鼓。
桜島(鹿児島)へと移動をすれば、今度は西郷隆盛に想いを馳せます。
本土に移り、島津藩の庭であったという仙厳園に行きました。
かの関ヶ原の合戦で、「島津の退き口(徳川家康の鼻先を通って、敵中突破をして薩摩に引き上げた話は有名★)」な島津藩ですが、、、
仙厳園の説明プレートだったと思うのですが、そこにはこう書いてあったんです。
「源頼朝(!)より、九州を島津家に任せると言われ、ありがたく拝領し・・・」
その説明を読んで、はわゆサンは思わず、言っちゃいました・・・。
「頼朝・・・、あんたって人は、なんて太っ腹な★」
・・・九州って広いですよね☆
こんな広大な島を、島津に任せるって言っちゃったのが響いて、ずっと、ずーーーっと幕末まで薩摩藩が続いていったというのは、驚き。
「頼朝、言っちゃったんだ・・・」
「うん、言っちゃったんだね」
などと、はわゆ兄と語りながら九州から帰って来たんですが。
またその後日に今度は、明智光秀のご子孫の方のお話を聞く会があって、参加表明をしていた・・・はわゆサン★
この講演を楽しむ前に、織田信長のお話を聞いておくと良いなるお誘いを受け、なんとなく足を運んでみる事に致しました。
何しろ、時間に余裕は出来たし、明智光秀という人は、はわゆサンにとっては、織田信長に、
「この、金柑頭っ!!」
と怒鳴られて、足でゲシゲシと蹴られている印象しかなかった人なんです。(^^;;
ところが昨今、新たな資料が発見されたとかで、NHKの「歴史ヒストリア」でも取り上げられ、それも録画して興味深く見ていた・・・はわゆサン。
「本能寺の変には、長曾我部元親に対する明智光秀の思いもあって、敢行された」という説を聞き、その御本を書かれた方の講演と聞いて、興味をもったからなのでした。
どうせなら、内容が良く判る方が良いもんね♡
織田信長のお話も、とても判り易いものでした。
特に桶狭間の戦いに向けての、信長の繰り広げた情報戦は現代に通じるモノもあり、、、
これがドラマなら、ナレーションと状況説明が早過ぎて、はわゆサンには付いていけなかったかも。 (^▽^;)
楽しく講演は終わったんですが、歴史好きの方がなさる講演にはまた、更に歴史にお詳しい方が参加をされていたりして、そこでまた別のイベントの紹介などもされているようで・・・★
織田信長のお話がよく判るようにとその方は、3枚程の資料を渡して下さったんです。
「日本の歴史を知る上で、ここを知っていると特に、戦国時代の事も判るようになると思い・・・」
とのご好意だったのですが。
はわゆサン、かの時代には「守護」に「守護代」なる役目がある事は、知っていました。
時代劇のセリフに出てくるし、本を開けば「国人」なんてのも出てきます。
・・・出てくるんですが、そのハッキリとした意味を知らず、「多分、何か守っているのね」くらいにしか思っていなかったんです。。。
「戦国時代の大名」だから、「戦国大名と呼ばれている」と思っていたんですが、本来の意味は、はわゆサンの想像とは、けっこうに違っていて・・・。 ( ̄_ ̄ i)
ちなみに、「小守護代」なる職があるのもその時、初めて知ったのですが、、、
こういった役目を作ったのって、源頼朝だというのを、脳みその片隅でそういえばちょっと、思い出してきたよおな。。。
守護・地頭って、そういえば、教科書なんかで、出てましたよね・・・。
源頼朝なんて、はわゆサンにとっては、たった三代きりで終ってしまった鎌倉時代の将軍で。
ぱっと出たと思ったら、さっと散っちゃったくらいにしか思っていなかったのに、・・・あぁ、頼朝・・・★
何だかアナタって人は実は、長らく侍の世の基盤を拵えていた人だったのねぇ・・・としみじみ、思いました・・・。
また日本という国は、頼朝に始まってからは、平家・源氏・平家・源氏といった家柄に治められていたんだそうで、織田信長は平家の流れなんですって、あな恐ろしや、日本史・・・。
林邦史朗先生は、「本名の、邦」という字がこの国を表すのと、歴史がお好きだからということで、芸名を「邦史朗」としたと聞きましたが・・・。
私ともう一人、中川邦史朗氏は歴史が大好きで、彼の歴史話を聞いていると、ものすごく面白くて、
「中川さんが学生時代に、私の歴史の先生だったなら、私の成績も、もう少しは上がっていたんでは・・・」
と思ったモノですが。
私も病床で「邦史朗の名を継げ」と託されたからには、今少し、というかもっと一杯(!)
興味深いお話をたくさん聞いて、それをまた様々な事に活かせたらなぁと思った一幕でありました。 (^◇^;)