いよいよ梅雨、到来!
お天気とにらめっこが続く毎日ですが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
「ねんきら」もこの6月で、4年目を迎えました! (^_^)v
時代劇や日本の文化を研究するため、まず大学に入るつもりで4年間、目的をもって続けていこう(!)という気持ちで始まった「ねんきら」です。
おかげさまで随分、勉強することが出来ました。
・・・この意欲を学生時代に、発揮できていたらなぁ、とかも思うのですが★ (^_^;)
そういえば先日、渋谷にある「銀座 和真(わしん)」さん。
そちらで、PC作業用の度入りの眼鏡を購入して参りましたっ!
「311」以来、何かの時のために作っておこうと思っていたメガネなんですが★
昨今、眼鏡屋さんも少なく、ついつい作りそびれていたんです。
PC用としてまぁ、(車の運転はコンタクトでするとして★)近所を出歩くくらいの度で整えてもらい、ついでに眼の調子なども見てもらいました。
メガネについては、お店のお姉さんに色々と教えてもらったのですが、かの人にも思う処があったらしく、「学生時代に、この向学心を・・・」というお話でちょっと、盛り上がりました。
で、思うんですが★
「・・・でも逆に、大人になったからこそ、その知識が別の意味で、身に染みるのかも知れませんねぇ~・・・」
という処で、話が落ち着いたりもしました。
「ねんきらエッセイ」を毎月2本更新することで、お江戸の頃の生活が何とはなし、身近に感じられるようになったようにも思えます。
6月は何だか、思いの外に出費も多く・・・。
長らくお世話になってきたパソコンのWindows7こと、VAIOさんの調子がいよいよ悪くなって来てしまいました。
PC内のファンが回りっぱなしで、すぐに熱をもってしまい、ちっとも作業が進みません・・・。
そこで、思い切って買い換える事と致しました。
迷いましたが、富士通のデスクトップに切り替え、カメラマン永井氏に教えてもらって、使い慣れたアドビのphotoshop elementsも乗せて最近、ようやく色々と扱えるようになってきました。
・・・それにしても、最低限でとはいえ、扱うソフトの多さに、ちょっとびっくりです。
梅雨空ながらチャンスがあれば、せっせとそちこちに足を運ぶ・・・はわゆサンです。
先日は、明智光秀の子孫であるという、明智憲三郎さんの講演も聴いてまいりました。
昨年、 「織田信長四三三年目の真実~信長脳を歴史捜査せよ!~」という著書を出されたとか。
・・・そのお話を深~く理解するべく、先日、やはり黒田官兵衛のご子孫だという方のお話を聞きにいってきたのですが、先日は、その続きのお話でした。
「歴史は、年号を覚えるのがイヤで・・・」
と言っていた・・・はわゆサン★
テストのない世界で暮らしてみれば、こんなにも興味深い事が幾多も出てくるモノなのですね。 (^O^)
最近、特に幕末から明治にかけての資料の発見が多いそう。
新たな史実が出て来て・・・などなど、世間を賑わせていますが、こういった資料にはまず、どの程度の信憑性があるのかが求められるものだそう。
「何しろ、新しい施政者は、自分に都合の悪いことは史実として残しておきたいとは思いませんから・・・」
というお話に、なるほど・・・と思ってしまいました。
そういう意味では、豊臣秀吉という方は、けっこうに色々と暗躍をされてきたお方のようで・・・。
本当の史実を、「読んで判りやすく、聞いても面白いという内容に、そして自分に都合良く塗り替えて伝える」作業に、相当に没頭されたお方のよう。
・・・こんな事を言っては何ですが、やっぱり、お百姓出身だからでしょうか・・・。(-_-;)
史実をそのままに伝える書物か、そうでないかが、学者さんにとっては大事なことのよう。
たとえば、織田信長を敬愛するメモ魔として紹介されている太田牛一さんの描く「信長公記(しんちょうこうき)」は、信長を相当に客観視して書き記しているので、超(!)のつく、一級資料の位置に今も安泰。
・・・それ以降の書物はと言えば、あえて言うなら、昔語りといった感のある「軍記物」という分野の書物が多く、、、
そこでは、いかに秀吉が天晴れで、織田信長を討った明智光秀が、いかにも人間性に欠けた酷い裏切り者といったような描写が、ことに多く・・・。
そこでの記述が、やがて歌舞伎になったり、浄瑠璃になったりして、引いてはNHKの大河ドラマにまで、その内容が多く使われていると聞いて・・・はわゆサンは、びっくり★
皆さまご存知、はわゆサンの殺陣の師匠である林邦史朗先生は。
50年という歳月をかのドラマの殺陣・武術指導として活躍をされたお方なんですが、こうしてみると、その人生を秀吉に振り回されていたと言っても過言ではない(!)のか・・・★ (><;)
一つの例えとして、織田信長の小姓の森蘭丸の名前なんですが。
・・・どの大河ドラマでも森蘭丸は「お花の蘭の文字を当てられている」んですが、正式には「乱(!!)」という文字を使っていたよう。
これは先ほどの「信長公記」にもその記述で見られるのに、なぜに大河ドラマではずーーーっと、蘭丸なのか・・・。
これには・・・はわゆサン、唸ってしまいました。 ( ̄_ ̄ i)
大体、「惟藤退治記(明智惟藤日向守;あけちこれとう・ひゅうがのかみ)」というタイトルからして。
秀吉が、 本能寺の変の顛末として発表した公式資料(!)なんだそうですが、その名前からして、考えようによっては、
「秀吉さん、あなたさま、やりたいようにやりなさったね★」
という感もあったりして・・・うーむ。
戦国時代ですもの。
人の名前だって、「お花の、蘭の文字を使う」より、戦で強そうな「乱という字を、当てる」方が、ずーーーっと、「らしい」ですよねぇ。。。 (‘_’)
講演の内容は、信長の幼少期の話に始まりまして、いよいよ桶狭間。
当時の戦国武将が、いかに古代中国などの戦記(兵法家が記した史書)などを読みふけり(!)
一族の滅亡を免れるべく、勉強に励んだなるお話から始まりました。
・・・ドラマでは、今川義元は「信長を舐めきっていたから、だからカンタンに成功したぜ、桶狭間(!)」といった説明に省略される処を、
「実は義元って、すごい武将だった!」
なるお話から、始まり。
信長が、いかに戦略をもって桶狭間に誘い込んで、天候なども読んで計算に入れて攻撃を仕掛けたか、というお話で盛り上がりました。
布教活動で日本に訪れたイエズス会の伝道師の記述も、講演の屋台骨を支える一級資料としての扱いでした。
「こういった方々の覚え書き」は、逆に私情を挟まない為に、資料としての価値が上がるのだとか。
・・・はわゆサンは知らなかったのですが、とにかく大海原を渡って布教活動をしているイエズス会の方々は、命懸けの行為であるのは確かで・・・。
そういった方々を信長は丁重にもてなし、畏敬の念も抱く対象であったのだという事でした。
・・・最近になって、はわゆサン★
明治維新の折の政府軍が、
「九州は薩摩から、京都、お江戸、会津を通って最後に北海道は五稜郭まで、歩いて行く、その体力(!)」
その辺りの処に、何ともいえない思いを抱いていたのですが★
・・・荒海をどんとどんと超えてやって来るイエズス会というのも、たしかにそれを聞いてしまえば、
「あいや、ご立派(!)」
と言うしかないような・・・。
最終的には、織田信長は自らの血族を守るため、他の有力な氏族を総て「唐入り(つまり、「朝鮮出兵」)」に出して、お家の安泰を図った事を光秀に悟られ、光秀も自分の血族を守るため、謀反としてではなく、ある意味の正義を押し通して信長を討ち滅ぼした・・・なるご説明だったのですが、あまりにもエリアの大きなお話で。
・・・ある意味で言えば、余りにも荒唐無稽なアイデアのようにも感じてしまったので、しばらくは呻りまくってしまった・・・はわゆサンで、ありました★
戦国武将って、むずかしい。。。 (-_-;)
そんな思いを抱いた・・・一幕で、ありました。
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